感傷

自己責任批判すらほとんど湧き上がらなかった。ある種の人々の神経を逆なでする《マスコミ上の正しさ》の一片も、その振る舞いには読みとられることはなかったということなのだろう。「軽率の極み」。
信義や欲動といった裏付けが感じられない行為の帰結。その評価は《正しい》。でも恐らくは、だからこそ、「外交官」や「ジャーナリスト」《としての死》よりも一番応えた。というよりその対照性が応えた。覚悟のほどもなかったろうに。
しかし、「粗忽者の話」ならそれに相応しいオチというものがあるだろうに。「星条旗に包まれた頭なし」などという《象徴》にこれほど似つかわしくない存在もあるまいに。